2014.10.06 Monday
JR鶴見線国道駅
1930年,神奈川県横浜市鶴見区,阿部美樹志,現存(撮影:2014年)
●戦前からの高架下空間
ふと戦前の鉄道高架橋下空間の利用について気になったので調べてみたところ、やはり戦前から、賃貸とし高架の建設費を補充するという考え方があったことを、小野田滋氏の論文の中にみつけた(*1)。つまり高架下に人が住み店舗などとして利用されはじめたのは戦後のドサクサが発端だったとは限らない、ということが分かったのである。
先日、JR鶴見線国道駅とその周辺の高架下を見に行った際にそのような疑問を抱いたわけなのだが、その論文にはさらに重要なことも書かれていた。国道駅やその路線の高架橋などを設計者が、大正から昭和戦前期にかけて鉄筋コンクリートによる建築物や鉄道高架橋など幅広く手掛けた阿部美樹志であったのである。
●昭和5年開業、鶴見臨港鉄道「国道駅」
JR鶴見線は、元々は「鶴見臨港鉄道」の路線であった。まず1926(大正15)年に貨物線として開業、同社は鶴見の仮駅舎から扇町に至る区間に高架橋や橋梁を建設、1930(昭和5)年に旅客輸送を開始した。国道もその時に誕生したのだが、駅名称は第一京浜国道と交差する地点のそばだから、ということらしい(図5)。
その後鶴見臨港鉄道は1943(昭和18)年に戦時買収により国有化され、今日のJR鶴見線となった。国道駅は戦後の1971(昭和46)年には無人駅となりながら今日に至っている。
RC造の高架橋の上が国道駅のホームとなっている。緩いアーチが美しい鉄骨の上屋あるホーム(図6,7)から階段で降りると改札がある(図8,9)。改札口は当初上下線それぞれにあったらしいが、現在は高架下の渡り廊下を通じて一ヶ所の改札から出入りするようになっている。
高架下空間は結構高さがあり、上階が住宅下階が店舗となったユニットが上下線に沿って並び商店街を成している。そうは言っても現在は、外見上ほとんどの店は閉鎖されたようであった。
●現在の「国道駅」
現在の高架下は画像の通り暗く寂れていて、それがある意味知る人ぞ知るスポットとなっているらしく、見廻せば数人の人が写真を撮っていた。
確かに実際に行けば行っただけのことはあった。改札を出て高架下の商店街に足を踏み入れた瞬間、異空間に迷い込んだ感覚に襲われた。古い看板がそのまま残り、ありし昭和の時間がそのまま凍結したかのようであった。心もとない照明に照らされただけの暗闇に、幾重にも重なりあったアーチ構造が浮かび上がり、まるで昭和へと誘うタイムトンネルそのもののといった風情だったのである(図1〜4)。
ネット上にも無数の記事があり、その中に黒澤明の映画「野良犬」(1949年)などロケ地などとして使われたことが書いてあったので、早速その「野良犬」を観てみた。
この映画には闇市ばかりを映し出す長いシークエンスがあるのだが、それは映画表現として優れているだけでなく当時の風俗記録としても貴重であると、映画通の間で知られているらしい。そこで特にその辺りを中心に見たのだが、何度見返しても国道駅とすぐに判るような空間は現われなかった。長い街路に沿った露店が並ぶシーンがあり「それかな?」と思う位であった。詳しい方に教えて頂きたいところである。
●「臨港デパート」
国道駅の高架下空間は商店街となっていて、そこはかつて「臨港デパート」と呼ばれていたそうである。その存在を証し立てる往時の画像などには今のところお目にかかっていないのだが、開業当時は高架下商店街として活気に満ちていたことは想像に難くない。以下その理由について、鶴見臨港鉄道からJR鶴見線に至るまで詳細に記された『鶴見線物語』(*2)を参考にしつつまとめてみた。
デパートと呼べるような商店街が計画されるほどの乗降客があったとすれば、まず浅野総一郎の埋め立て事業による工場進出がもたらした京浜工業地帯の通勤の足として、基本的に路線そのものの需要が高かったことが理由として挙げられるであろう。そして競合路線である既存の「海岸電気軌道船線」を買収した上で旅客輸送を開始したので、利用客は鶴見臨港鉄道に集中したことも大きな要因であったのでなはなかろうか。
さらに通勤客のみならず、1916(大正5)年に開園した花月園遊園地や、1911(明治44)年鶴見に移転した曹洞宗大本山總持寺(最寄駅は隣の「本山」、現在は廃止)などが近く、行楽や参詣の人出も大きく作用したことが考えられる。
昭和9年には臨港鉄道の始発鶴見駅の駅舎は省線鶴見駅まで延長され、駅舎の一体化がなされた。集客の成功を裏付けるかのように、両路線の乗り換えの利便性UPが図られた上、鶴見駅には国道駅よりも格段に規模の大きい商業施設「京浜デパート」が建設された。その建物は建物は現在も「京急ストア」として現役である。(これについては後日別稿を設けようかと思う)。
この頃には「高架線下貸室ご案内」との広告が打たれ、鶴見駅から国道駅に至る間の高架下の範囲でテナント募集が行われていたのだが、「アッという間に埋まってしまった」(*2)とのことである(図14は現在の利用状況)。
さて、このようにそれなりの需要が見込まれ当初から臨港デパートは消費を刺激するべく華やいだ商業空間のデザインがなされたのであろうと思うのであるが、私が見た限りでもそのことを窺い知ることができる。
まずはアーチ。当時流行りのアール・デコ装飾を意識したような幾重にも連続するアーチの幾何学パターンは商店街の広がりとその範囲を示すサインにもなっていよう。また、当初からのものと思われる各戸の入口の木製建具上部の欄間にも、正方形の幾何学格子模様(図10〜12)があしらわれていて、商店街全体をひとつのトーンでまとめようとする意図が感じられる。さらに柱の腰に巻かれたスクラッチタイル(図13など)の使用は、阪急梅田高架橋に通ずる装飾との指摘がある(*1)。
こうしたモダンなデザインとして構想され実現を見たのも、その分野において手馴れた阿部美樹志の関与があったからこそなのであろう。
●阿部美樹志の業績
阿部美樹志(1883−1965)は、戦前の日本における鉄筋コンクリート工学のパイオニアのひとりとして、建築では旧・阪急梅田ビル(第一期1929年),神戸阪急ビル(阪急三宮駅)(1936年)、日比谷映画劇場(1934年)などをはじめとした多数の建築物や鉄道高架橋などを設計、建築−土木の隔てなく活躍した。
アメリカ留学から帰国後鉄道院に勤務、1920年に独立して設計事務所を経営した他、浅野混凝土専修学校校長、東洋セメント社長などを歴任、戦後は戦災復興院総裁に任じられアパートのRC造化を推進した。
コンクリート構造が専門であるが意匠性についても力を発揮し、阪急ビルや神戸阪急ビルなどで大きなコンクリートのアーチ空間を創出した。高架橋の構造にもアーチを取り入れることがあり、コンクリートのアーチはいわば阿部美樹志のトレードマークの感がある。国道駅にコンクリートのアーチがみられるのは、必然の成り行きだったようである。
ここで小野田滋氏の論文の中から、阿部美樹志が手掛けた高架橋からいくつか拾い出してみた。できるだけ現在の路線名に直してみたのが下記なのだが、さて現在どれだけ残っているのだろう。
・(JR)東京−万世橋間(1919年)(初のRC造鉄道高架橋)
・(阪急)梅田高架橋(1926年)
・(東横線)多摩川園−神奈川(1926年)−高島町(1928年)(現状は廃止)
・(東横線)渋谷−多摩川(1927年)
・(東急大井町線)大井町−大岡山(1927年)
・(JR南武線)尻手−浜川崎(1929年)
・(阪急神戸線)三宮高架橋(1936年)
阿部の設計による代表的な建築物の多くが消滅した昨今、高架橋についても少なくなっているようで気にかかる。国道駅は今や貴重な作例と呼んだ方がよいのかもしれない。
●歴史が刻んだもの
国道駅には戦時中の空襲で受けた痛々しい弾痕があちこちに残っている(図15〜17)。この辺り一帯が焼け野原になり果てたころの辛い過去を静にかつ雄弁に、老いた駅舎が語りかけているかのようであった。
また寂れた風情の国道駅の高架下も、かつては重化学工業の中心地をひた走る路線の駅舎として、いわば繁栄の表舞台に立っていた頃の誇らしい思い出を背後に秘めながら、息をひそめて建ち続けているように思う。この奇跡的に残ったとも言えるような昭和戦前からの遺構を、今後とも大切に継承してゆきたいものである。
*1:「阿部美樹志とわが国における黎明期の鉄道高架橋」(小野田滋,『土木史研究』第21号,2001.5)) 小野田滋: 工学博士 (財)鉄道総合技術研究所
*2:『鶴見線物語』(サトウマコト,2005,230クラブ)
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