2015.04.30 Thursday
日本不燃建築研究所による防火建築帯2題(大宮,亀戸)
「建設工学研究会」に所属し「沼津本通り防火建築帯」を手掛けた後の1957年、今泉善一は「日本不燃建築研究会」を設立した。ここでは同会が設計した中から2点ばかり拾い上げてみた。もちろんこれらに限らず、今でも防火建築帯はあちこちに現役の建物として残っている。戦後高度成長期にかけての昭和の繁栄の残り香として。
■大宮駅前新共栄ビル(大宮駅前東口防災街区造成事業)(1962年)
大宮駅東口から東西に伸びる大通りを挟んだ南北にまたがるブロックの防災街区造成事業区域のうち、第1期工事分として1962(昭和37)年に竣工したのが、この新共栄ビルである。
写真手前部分の5階建て地下1階の部分は、7店舗の共同により「オールオープン式の店舗計画(*1)」がなされたとあり、「大一ビル」の部分のことであろう。また写真では左側に見える部分は、連続した1棟のように見えるけれども数軒が縦割り状に連続している。
外観の現状は看板に覆われ痛々しい。しかし屋上のパラペットの辺りのちょっと凝ったデザインに、不燃建築研究所らしさを垣間見せている。また下の写真のように、地下部分は古びて寂れつつあるが、昭和30年代レトロ感を濃厚に滲ませている。
ひとつここ大宮駅東口の造成事業について注釈しておきたい。全体計画図(『不燃都市』1962.No15掲載,下図)を見たところ予定年度を示したいくつかの区域に区切られ、その中で新共栄ビルは「昭和36年度完成」とされていて当初から道路に面して奥行きの浅い(細長い)建物として計画されていた。これは恐らく従来通りに「耐火建築促進法」に則って路線から奥行11mの範囲で防火性能を備えた「防火建築帯」としたためであろうと考えられる。しかし昭和36年は同法に取って代わり街区全体の防災を旨とする、新しい「防災建築街区造成法」が施行された年でもあった。従ってここ大宮においてもその後の昭和37年以降の区域については、奥行にとらわれずに街区に計画の線引きがなされた。つまり同じ造成事業区域でありながら2つの法律にかかる、移行期の事業であったということが分かった次第である(*4)。
*****
■亀戸駅北口十三間通りの共同建築(1958年)
日本不燃建築研究所が東京近郊で関与した事例としては、日本橋横山町、蒲田駅東口、巣鴨地蔵通り、赤羽町、柏、そして亀戸十三間通りなどが挙げられる(*2)。そのうちの亀戸十三間通りの共同建築を直接担当したのは、日本不燃建築研究所の元所員小町治男氏であった。このことについてはHP「建築家山口文象(+初期RIA)アーカイブス」のインタビュー記事「戦後復興期の都市建築をつくった建築家小町治男氏にその時代を聞く」(伊達美徳氏作成)の中で詳しく語られており、また建築当初の写真なども掲載されているので参照されたい。
下のように2件の建物が残っていた。一見して見分けがついたのだが、それはやはり屋上部分のデザインによる。以前取り上げた沼津の「上土通り」と同様、ここでも屋上部分のデザインで通り全体に統一感を与えようとしたと考えられる。外装は当初と見比べると随分改装されたようである。
初田香成氏の著書『都市の戦後』によれば、「日本不燃建築研究所」はその後「日本不燃開発研究所」を併設し、需要が増す商業コンサルタント業務にも対応するようになったと書かれている。またこのことは成長著しい商店主らの利益追求に応えることを最優先とせざるを得なくなったことをも意味していた。大資本に対抗しつつ公共的な都市計画上の提案を行うなど、建築家が得意とした部分は相対的に二の次となり、次第に防火建築帯に対する建築家の関心は薄らいでいったそうである。池辺陽がかつて言ったように防火建築帯はやはり過渡期のあり方に過ぎなかったのかもしれない。そして日本不燃建築研究所の所員は独立しては去り、結局「今泉だけが残るようになっていった」(*3)。
本来マルクス主義の建築家の今泉善一にとってみれば、(見方にもよろうが)皮肉な末路を辿ってしまった、ということなのかもしれない。
*1:『不燃都市』(1962 No.15)による
*2:『都市の戦後』(初田香成、P.256-257)による
*3: 同上(P.291-294)による
*4: 伊達美徳氏からの指摘に従って調べた結果判明した。
■大宮駅前新共栄ビル(大宮駅前東口防災街区造成事業)(1962年)
大宮駅東口から東西に伸びる大通りを挟んだ南北にまたがるブロックの防災街区造成事業区域のうち、第1期工事分として1962(昭和37)年に竣工したのが、この新共栄ビルである。
写真手前部分の5階建て地下1階の部分は、7店舗の共同により「オールオープン式の店舗計画(*1)」がなされたとあり、「大一ビル」の部分のことであろう。また写真では左側に見える部分は、連続した1棟のように見えるけれども数軒が縦割り状に連続している。
外観の現状は看板に覆われ痛々しい。しかし屋上のパラペットの辺りのちょっと凝ったデザインに、不燃建築研究所らしさを垣間見せている。また下の写真のように、地下部分は古びて寂れつつあるが、昭和30年代レトロ感を濃厚に滲ませている。
ひとつここ大宮駅東口の造成事業について注釈しておきたい。全体計画図(『不燃都市』1962.No15掲載,下図)を見たところ予定年度を示したいくつかの区域に区切られ、その中で新共栄ビルは「昭和36年度完成」とされていて当初から道路に面して奥行きの浅い(細長い)建物として計画されていた。これは恐らく従来通りに「耐火建築促進法」に則って路線から奥行11mの範囲で防火性能を備えた「防火建築帯」としたためであろうと考えられる。しかし昭和36年は同法に取って代わり街区全体の防災を旨とする、新しい「防災建築街区造成法」が施行された年でもあった。従ってここ大宮においてもその後の昭和37年以降の区域については、奥行にとらわれずに街区に計画の線引きがなされた。つまり同じ造成事業区域でありながら2つの法律にかかる、移行期の事業であったということが分かった次第である(*4)。
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■亀戸駅北口十三間通りの共同建築(1958年)
日本不燃建築研究所が東京近郊で関与した事例としては、日本橋横山町、蒲田駅東口、巣鴨地蔵通り、赤羽町、柏、そして亀戸十三間通りなどが挙げられる(*2)。そのうちの亀戸十三間通りの共同建築を直接担当したのは、日本不燃建築研究所の元所員小町治男氏であった。このことについてはHP「建築家山口文象(+初期RIA)アーカイブス」のインタビュー記事「戦後復興期の都市建築をつくった建築家小町治男氏にその時代を聞く」(伊達美徳氏作成)の中で詳しく語られており、また建築当初の写真なども掲載されているので参照されたい。
下のように2件の建物が残っていた。一見して見分けがついたのだが、それはやはり屋上部分のデザインによる。以前取り上げた沼津の「上土通り」と同様、ここでも屋上部分のデザインで通り全体に統一感を与えようとしたと考えられる。外装は当初と見比べると随分改装されたようである。
初田香成氏の著書『都市の戦後』によれば、「日本不燃建築研究所」はその後「日本不燃開発研究所」を併設し、需要が増す商業コンサルタント業務にも対応するようになったと書かれている。またこのことは成長著しい商店主らの利益追求に応えることを最優先とせざるを得なくなったことをも意味していた。大資本に対抗しつつ公共的な都市計画上の提案を行うなど、建築家が得意とした部分は相対的に二の次となり、次第に防火建築帯に対する建築家の関心は薄らいでいったそうである。池辺陽がかつて言ったように防火建築帯はやはり過渡期のあり方に過ぎなかったのかもしれない。そして日本不燃建築研究所の所員は独立しては去り、結局「今泉だけが残るようになっていった」(*3)。
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*1:『不燃都市』(1962 No.15)による
*2:『都市の戦後』(初田香成、P.256-257)による
*3: 同上(P.291-294)による
*4: 伊達美徳氏からの指摘に従って調べた結果判明した。
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- ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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