収蔵庫・壱號館

日本の20世紀をメインとした建築画像の保管庫
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グラントハイツ跡付近の看板建築
  
1948年以降,東京都練馬区,非現存(撮影:2008年)

 現在「光が丘」と称される一帯は、戦時中は陸軍成増飛行場であり、敗戦による連合国の接収以後は、広大な敷地は駐留米軍家族用の宿舎とされた。昭和23年に完成し、米国大統領の名から「グラントハイツ」と名付けられたこの区域には、勝者アメリカによる(疲弊し尽した日本にとってみれば)夢の如く優雅な生活の光景が持ち込まれ、パッチワークされていた。当時の情景は、「グラントハイツ、光が丘の歴史」というサイトで目にすることができる。
 時を経て、昭和48年に全面返還されて以降はその全体が団地や公園となり、今や地形以外には当時の痕跡が窺えない程に変貌した。しかし、たったひとつ、グラントハイツ入り口付近にあった駐留米軍向けの土産物屋の看板の"FUJI”というネオン管で縁取られたロゴだけが、閉鎖されて久しいながらも占領時代の現実を示す名残りとして留められていた。また、板張りそのままの外壁は、当時の民家と時代を偲ばせつつ迫るものがあった。
| 1940年− | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
岩国徴古館

1945年,山口県岩国市,佐藤武夫,現存(撮影:1981年)


 まだ学生の頃、「青春18きっぷ」フル活用旅行で、ここ岩国に一泊となった。夕暮れ前にこの建物を訪れた。見掛けない鋼滓まじりのコンクリートの表面が地味ながら古典的な落ち着いた雰囲気を助長している。なので期待して中に入ってみると、案の定、独特の列柱群と穴あきブロックから濾過されてこぼれ落ちる光が静謐な空間を引き立てていた。沈黙の空間。戦争末期にあってもこうして創造性を開花させる設計者のバイタリティーには、ただ敬服するばかりだ。
| 1940年− | 18:16 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
林芙美子記念館(旧・林芙美子邸)

1941年,東京都新宿区,山口文象,現存(撮影:2008年)
| 1940年− | 19:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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