収蔵庫・壱號館

日本の20世紀をメインとした建築画像の保管庫
焼津の文房具屋

 1978年,静岡県焼津市,長谷川逸子,現存(撮影:1982年)

 長谷川逸子の最初の建築である折り重なる「家形」は、普通に言う構築された建築とも違っていて、
純化された家並みのイメージという、重量感が消去された薄い皮膜を目指している。中に入るとその訳が分かる。内部は、外観イメージを支えるための鉄骨の骨組みがむき出しになっているだけで、特に造形的な主張は感じられない。緩いカーブは完全に空間に溶け込んでいた。つまりこの建物は、意図的に作り上げられた「書割り」、舞台背景と言ったら良いものか。
 それもそのはず、作者の実際の関心事は、建築物の作品性よりもむしろ人であり、繰り広げられる生活であり、活気なのであって、建築物はそれを彩るための助けに過ぎない、との声がどこからともなく聞こえてくる。
 この文房具屋の数年後に建った「湘南台文化センター」の、宙に浮いた大きな球体の下の子供達の大きな賑わいに接した時に、このことを十分目の当たりにした。
 長谷川逸子も、槇文彦の言う「野武士」のひとりであった。
| 1970年− | 16:45 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
水無瀬の町家


1970年,東京都八王子市,坂本一成,現存(撮影:1982年)

 1970年代ともなると、東大や早稲田などをはじめとして脈々と形成されてきた「建築家山脈」に与する建築界の構図から意識をずらし、自己の思考と実践を優先する建築家が活躍を開始した。そして、往々にして非権力志向型で一匹狼型の彼らに対して、槇文彦は1979年の『新建築』時評「平和な時代の野武士達」の中で、この新しい傾向に期待を寄せた。

 坂本一成は、言わずと知れた「篠原スクール」の一人ではある。しかし「家形」の連作など、住宅の祖形を自己の内に向かって追い求める姿勢は、個人による建築行為の自律的価値を肯定していたという意味で、やはり「野武士」のひとりなのかも知れない。
 水無瀬の町家は、そんな建築家の出発点であった。「やりっ放しコンクリート」に銀ペイントという外観は、恐らく日本のどこにでも存在した軒を連ねた長屋の界隈のような、荒々しくも曖昧糢糊たる実態を代理表象したようであり、個人の原風景の記憶であったのかも知れない。

| 1970年− | 16:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
日本万国博覧会
             

1970年,大阪府吹田市,(撮影:1970年)
写真に見える施設等―太陽の塔:岡本太郎, お祭り広場:丹下健三, 電気通信館:電々公社建築局, 日本館:日建設計, 虹の塔:清家清, 噴水:イサム ノグチ


 これらは実家のアルバムを物色して見つけた思い出深い写真。撮影は父であり、被写体として私が写っている。
 とにかく日本中が万博一色ムードで、子供心にも何としても行ってみたかった。「一億総○○」の時代にあって乗り遅れまいとする嗅覚は、子供ほど敏感だったのかもしれない。現在からすると想像しづらい感覚かもしれないが、現実に挙行された「日本最大の村祭り」を目撃することが叶いやはり嬉しかった。人が多くて大きなパビリオンに入ることは至難であったが心の中では十分満足した。
 それにしても大勢の人がいるのにほとんど日本人。「世界の国から・・」と盛んに歌われのに、外国からの観客を見掛けなかったのは、田舎出の子供にとってはちょっと肩透かしを喰らったような気がした。
         **
 といった、オジサン世代の懐旧談はきりがないのでここまでにしておこう。
     
 当時子供だった私にとって、この60年代末から70年代初頭にかけての、学生ら若者による異議申し立ての熱気は強く印象に残っている。そしてここ大阪万博も、テクノロジーへの信頼に裏打ちされた、過去への反逆を含んだ新しい都市像の提示であったことは間違いないだろう。
 アーキグラム、あるいはヨナ・フリードマンやセドリック・プライス、そしてチームXら当時の若い世代が示していた楽観的なテクノロジー信奉を背景として、これを下敷きとしつつ大阪の地において保守的な都市に対する既成概念の打破を試みていたフシがある。ポップカルチャーとうまくシンクロさせつつ提示されてきた上記の前衛的な計画の延長線上に磯崎新が行ったお祭り広場諸装置がある。メタボリズムの黒川紀章も「タカラ・ビューティリオン」や「東芝IHI館」などを設計した。

 しかし、この頃の空中都市的イメージ,無限定的に広がる空間システムなどは万博でお目見えして以降、ほとんどあっという間に、これらは進化すべき遠い理想などではなくまもなく、現実の都市に取り入れられたように感じられた。(駅前のペデストリアンデッキや動く歩道,スペースフレーム,あるいはカプセルホテルetc.)
 ただ技術信奉の起点にあるこのお祭りの中、唯一岡本太郎だけが、原始的、根源的な欲求で異議を唱えていた。そのシンボル「太陽の塔」によって。





| 1970年− | 19:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
中銀カプセルタワー
 都市を生命体であるかの如く新陳代謝するシステムであらんとした「メタボリズム」の、カプセルを最小単位として、直裁に実現した唯一の建築。(カプセルを用いないならば、丹下健三による静岡新聞・静岡放送東京支社、あるいは山梨文化会館が現存事例となろうか。)
 カプセルはまるで旅客機のシート回りのように、ハイテク情報機器を手近に身に付けてスマートに移動、あるいは状況に応じてカプセルを更新するなど、ダイナミックに変転する都市で生きる装備、・・・のはずであった。
 こうした使いこなしが想定されたのだが、現実の運用は黒川氏の意図通りだったとは言い切れない。建替えの計画が進行している中、画期的な建築であることには間違いはないところから、70年代の建物ながら保存要望も提出された。
 要望書には、現代のサステナビリティーの課題を先取りした建物とあるように、カプセルの更新をもってすれば問題は解決できそうなものだが、現実はそんなに単純ではないようだ。

 写真は、開発される以前の貨物輸送の拠点であったころの光景。

                                       1972年,東京都中央区,黒川紀章,
                                       現存(撮影:1982年)
| 1970年− | 19:24 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
岩手県民会館

1973年,岩手県盛岡市,佐藤武夫,現存(撮影:1981年)

風格ある端正で古典的な外観、中津川に美しく沿うファサード、ホワイエはパースペクティブを持つ大理石貼りの階段が最上階客席まで一直線に続く。意匠面ばかりではなく音響工学にも秀でた佐藤武夫が設計したホールである、と建築を勉強したなら一通りこのように説明できる。
ところがこの建物こそ、私が建築のことなど全く知らない高校1年の時初めて出会った本物の建築だった。

数十年前当時、万年県大会銀賞の汚名に甘んじていたI高校吹奏楽部に所属していた私は、初の東北大会出場権を得て、汚名返上とばかりに岩手県民会館で演奏する機会を得た。(今では後輩達のがんばりで全国大会の常連校と宣伝しておきます。)大会前日に県民会館に到着してその初めて見るホワイエ空間の素晴しさにびっくり。興奮して美しい階段を何度も上下した。そしてステージで演奏しても、下手だと思い込んでいた自分の音が「すぅーっ」と美しく響き渡ってくれるのだ。こうして気を良くすればしめたもの。我々吹奏楽部の演奏の結果は、東北大会初出場ながら所謂「ダメ金」受賞というこれまた快挙となった。
こうして、大隈講堂以来の研鑽による佐藤武夫の音響効果の恩恵に偶然にも浴してしまった私は、今も彼の作による音響空間こそ基本と信じている。
| 1970年− | 18:23 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ハクビ教育文化会館
  
1979年,東京都豊島区,磯崎新,非現存(撮影:1983年)

これは磯崎からすれば代表作とは言えない建物だろうが、ただし、セットバックした各階両脇の部分の、宇宙船がゆらゆら回りながら舞い降りるような・・・(と喩えたらよいのか)妙なデザインは気になった。
モンロー・カーブもしっかり付いていた。
| 1970年− | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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