妙経寺
1959年,東京都台東区,川島甲士,現存(撮影:2012年)
津山文化センター(1965)の設計で知られる川島甲士が設計した妙経寺。やはりコンクリートによる造形が冴えわたっていた。
『建築文化』(1960年5月)によればその掲載データには芝浦工大川島研究室の川島氏の設計とあり、担当者として石川洋美氏の名も見える。余談ながら我が母校で教をとった建築家の作と知り、ちょっと嬉しい気分になった。
以下『建築文化』氏に寄せた川島氏の記事によれば、設計依頼時の条件として、不燃耐火は勿論さらに山口智光師の言葉「・・・伽藍とはガランドウ―すなわち広い空間への謂いであります・・・」が示すように、従来の権威がかった威圧的な寺とは逆に、講演、展覧会、結婚式、子供会など民衆に開放され気兼ねなく集まれる公共空間が求められた。
そのようなわけで折版構造の屋根が提案された。
一方、この個性的な鐘楼も外向的に「天に向かってはね上がる」精神的指向を表したかたち、あるいは仏教発祥の地インドの水牛の角のイメージかもしれないそうである。
*
境内を歩くと鐘楼付近には区による説明板が掲げられていた。その内容を要約すれば、寿量山妙経寺は日蓮宗の寺院。1535(天文4)年に武蔵国芝崎村(現千代田区大手町)に創建、1611(慶長16)年に当地に移転したそうである。銅鐘は四代西村和泉守政時による1763(宝歴13)年の作。西村家は江戸中期か
ら大正期にかけて、鋳物師と
して名工を輩出した家柄とのこと。
海岸通団地
1958年,横浜市中区,日本住宅公団(現・UR都市機構),解体中(撮影2012年)
万国橋ビルへの道すがら、横浜で昭和30年代を偲ばせるものは何であろうか、などという思いがなぜか頭をよぎった。そうしたら昭和30年代の団地に遭遇した。しかも建替えによる解体工事が行われようとしているところであった。
ここ公団海岸通団地は昭和33年の入居開始、貴重な初期の団地である。しかし数年前に半分以上が解体され、残った4棟がまさに消えようとしているところなのであった。
当初は単身者向けの住戸や集会室などもあり、なかなか変化に富んだ設計の団地であった。活気ある都市型住空間であったに違いない。しかし現在、この囲いと足場で覆われつつある状況下では、残念ながら往時の団地界隈の生活のにぎわいを想像することは難しかった。
上の画像は、生糸検査所倉庫の側から望んだ団地。
行徳可動堰
1957年,千葉県市川市,建設省(当時),現存(撮影:2012年)
江戸川放水路が開削されたのは大正8(1919)年のこと(現在ではこの放水路側を正式な江戸川としている)。この放水路側の分岐点に固定の堰が作られ治水が行われた。もう一方の旧江戸川側にも江戸川水閘門(1943年竣工)が作られ現在も現役である。
戦後1947年に襲来したカスリーン台風の被害を教訓に流下能力を高めて河川の氾濫を防止し、また下流からの塩水の遡上を食い止めさらに江戸川水閘門と連動して水位を一定に調節し安定した取水を行う目的から、この可動堰が建設された。
工事には1950(昭和25)年から1957(昭和32)年までの期間を要し、その開閉のしくみはローリングゲートと称される巨大なドラムが回転しながら上下するというものであった。通常は閉鎖した状態である。
「清水建設二百年作品集」のサイトに竣工時の写真が掲載されていた。
偶然かあるいは意図をもったデザインへの配慮があったのかは分からないものの、純粋で迫力ある造形の中に、かつてイタリア未来派が予言したイメージを見る思いがした。
そして最近リニューアル工事が始まったようだが、どうなるのかちょっと心配な気もする。
旧・井上房一郎邸
1952年,群馬県高崎市,A・レーモンド 井上房一郎,現存(撮影:2011年)
レーモンドの自邸と言えば、まずRC打ち放しによる「霊南坂の自邸」(1924)が日本最初期の近代主義の住宅として知られるが、戦後に再来日して3年後の1951年に、麻布の笄(こうがい)町に今度は自邸兼仕事場を木造で建てたいきさつがある。これを気に入った井上房一郎はレーモンドから図面の提供を受けるなどして、大部分の造りを受け継いだ建物を自邸として建てたとされる。それが旧・井上邸の由来なのだが、そういうことなので設計者はレーモンドとして良いのか調べたところ、三沢浩氏の著作の作品年譜にはちゃんとレーモンドの作品として記載されていた。
ところで井上房一郎は言うまでもなく高崎の実業家である一方、山本鼎の勧めでパリに留学、ブルーノ・タウトを高崎に招き工芸作品を委嘱、あるいは群馬交響楽団の設立などをはじめとし、様々な芸術活動とその支援に尽力した人物。要するに庇護者であるだけにずば抜けて芸術に対する造詣が深い。
そんな井上氏の意思のままに立ち上がった住宅なのだから、これはレーモンドの作品というばかりではなく、見方にも依ろうが井上氏による「写し」としての作品が成立しているようにも感じた。そういう意味においては見え掛かりの落ち着いた風情だけでなく、日本の伝統的な創造形式の延長上則った稀有な近代建築かも知れない。(結局、ここでは作者として両名併記した。)
*
伝統的な和室を含んだ落ち着いた雰囲気にまず眩惑されるが、建物全体的には近代主義に根差し、構造体などをそのまま露わにし虚飾で包み隠すことを嫌ったレーモンドの信念が表出されている。杉の足場丸太を用いたいわゆる「挟み状トラス」の構造体、ダクトは堂々と天井空間を横切っている。裸電球は障子が濾過する外光と共に室内を照らしている。
ガラス屋根のパティオはかつて無かった創造的な空間。これはかつて横浜にあった「ライジングサン横浜本社」(1929)の天井を大きく占めたガラス天井の陰りなきモダンな光への想像を誘う。
感想を言うなら、例えば『陰翳礼讃』的な闇に価値を見出す日本人の和室の感覚と、明るみに露呈するモダニズムの感覚とがきわどい緊張感をもって調和している言ったらよいのだろうか。障子=スクリーン、ふすま=パーティション。日本人の設計者なら避けたくなるようなすれすれのせめぎあいと均衡の妙が具現化されていて、またそれを堪能する自分がいた。
今日では割と自由に和と洋の様々な融合のさせ方が行われまた抵抗無く受容されるようになったかも知れないが、これが出来た1952年頃を思うとやはり斬新な建築だったのではなかろうか。
その後、2002年には公売にかけられる危機に瀕したが、井上の哲学堂建設への遺志を引き継いだ「高崎哲学堂設立の会」が市民からの寄付金をもとに落札、人々の熱意により建物は救われたということである。今も高崎市美術館に隣接しているたたずまいに接してみれば、瞬時にしてそれだけの価値が十分あることが分かる。
秩父セメント第2工場(現・秩父太平洋セメント株式会社秩父工場)
1956年(第1期)1958年(第2期),埼玉県秩父市,谷口吉郎+日建設計,現存(撮影:2011年)
石灰石が豊富な秩父の地に1923年に設立した「秩父セメント」は、戦後昭和30年代の初頭に、武甲山がそびえ秩父鉄道が近くを走り荒川の上流が流れる大野原にもうひとつの工場、すなわちこの第2工場を構えた。
また、高度なオートメーション化を図るためにデンマークのスミス会社が機械設計を行い、建物の基本設計は谷口吉郎が担った。実施設計は日建設計工務(当時)による。
塵埃の飛散を防止し清潔な生産環境を実現することを基本的な考え方とし、いくつもの建屋が内部を密閉した。谷口による外装デザインはスチールサッシュに「原型スレート」をはめこむことによって形成し、他にセメントブロックや空洞煉瓦も使用したとされる(*1)。
工場の全体のプランニングは、メインストリートのような広い道路の軸線に沿って原料庫,ミル室,燃焼室など諸施設が配置されており、さらにこの軸線に並行するかたちで鉄道輸送も引き込まれている。当然ながら合理性だけが拠り所とされたように見え、なるほど近代建築の真骨頂は工場にあることが今更のように気付かされる。しかしここでは殺伐とした合理性に終始することなく、縦長プロポーションによるリズミカルな格子模様で覆われた外壁と緩いヴォールト屋根は独特であって、ソフトな意味での清浄さ(つまり芸術性)を工場の敷地に行き渡らせている。近代建築には工場の名品がいくつも思う浮かぶのだが、それらの中でも秩父セメントの場合は機械文明を称揚するデザインから歩を進め、人間性に寄与することを基本としたデザインに移り変わった時期の作品ということになろうか。
さらに谷口吉郎だからこそなせる業であろうか、個性的なデザインを眺めていると工場というだけではなく「神殿」ともいうべき崇高な空間に出合ったような感覚が呼び起こされる。谷口吉郎がシンケル等新古典主義建築から影響を受けたことはよく知られるが、それに類しよう崇高さが秩父セメントの工場においてもある程度意図されていたであろうことは、例えば慎重にデザインされたであろうシンプルでモニュメンタルな二本組み瓢箪形断面の煙突などから明らかに感じ取ることが出来る。
*1:「秩父セメント株式会社・第2工場」(谷口吉郎 「建築雑誌」1957.7月号 vol.72 no.848 )
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- ここは本家サイト《分離派建築博物館》背 後の画像収蔵庫という位置づけです。 上記サイトで扱う1920年代以外の建物、随 時撮り歩いた建築写真をどんどん載せつつ マニアックなアプローチで迫ります。歴史 レポートコピペ用には全く不向き要注意。 あるいは、日々住宅設計に勤しむサラリー マン設計士の雑念の堆積物とも。
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